情シス松本の気まぐれ歴史紀行|三重県編

情報システム課の松本です。前回の歴史紀行が好評でしたので第2回は三重県に行ってきました。
三重県は近世までは伊勢・志摩・伊賀・紀伊の4つの国に分かれており、私の行きたい所はたくさんありましたが、記事のため場所を厳選しました。

↓第1回目、滋賀県の歴史紀行はコチラ!↓

/https://egao-tsushin.coresv.com/情シス松本の気まぐれ歴史紀行|滋賀県編/

長島一向一揆の拠点「長島城址」

現在の城郭はほとんど残っていませんが、長島一向一揆の拠点の城です。二度信長の侵攻に耐えましたが、三度目の侵攻で一向勢力が壊滅してしまいました。

現地は揖斐川、長良川、木曽川の河口付近で壮大な景色を見ながら当時の状況を想像することが面白いです。

近くには信長勢力側の桑名城址や七里の渡跡があり、この鳥居はこの後に説明します。

日本一の高石垣「伊賀上野城」

少し遠い場所でしたが、30メートルの高石垣を見たくて伊賀まで行きました。

家康の伊賀越えでも有名な信楽街道にある上野城は、江戸初期には大坂城包囲のための平城でした。藤堂高虎が築いた石垣は大坂城に次ぐ高さのようです。

ここの石垣には柵がなく危険ですが、真上から見下ろせるところがポイントです。

歴史観光地には現地のボランティアガイドがいることが多く、若干地元贔屓(ひいき)の話を聞くことが楽しいです。

夫婦岩で知られる清き渚「二見興玉神社」

二見興玉神社で禊を行い身を清めてから伊勢の神宮参拝を行う慣わしがあったようですが、夫婦岩の方が有名かもしれません。

日の出時間は難しかったですが、夕日もきれいでした。夕日は3分くらいで沈んでしまったので、駐車場が少ないこともあり、余裕を持って行くことをおすすめします。

お遷り願う最大の神事、神宮と式年遷宮

伊勢の神宮は有名なので、今回は式年遷宮という神事について触れたいと思います。

1300年前から20年に1度全ての社殿や鳥居を造り変えていることは有名です。

徴古館という迎賓館のような立派な博物館があり、徳川家康も含め3人の朱印状が展示されていました。

※撮影禁止のため購入した本の写真です。

戦国時代は幕府の弱体化により中断していましたが、織田信長や豊臣秀吉の寄進で復興することができたようです。また、外宮には「せんぐう館」という博物館があります。原寸大の正殿模型の前で職員が解説をしていますが、ガイドが終わった後に色々聞けました。未来に技術を伝承するために式年遷宮が行われていることや、国宝ではなく税金・補助金に頼らず財団法人化と寄付で数百億円が賄われていることなど職員の熱い想いが伝わりました。

造り変えるための木材の確保も困難とのことですが、外宮の正殿で使用されていた柱は20年後に宇治橋の鳥居になり、更に20年後には前述の七里の渡跡の鳥居になり、その後は全国の神社に渡るようです。
関連して、当社近くにある穂高神社も20年に1度本殿を造り変える大遷宮祭りがあります。

人気の内宮も参拝終了時間に行くと人がいない写真が撮れました。

他にも何ヶ所か行きましたが、紹介できる場所が限られてしまいました。歴史好きな私にとって、とても魅力のある県でした。次回の記事のため、皆様のリクエストをお待ちしております。