【信州探訪】徳川軍を2度も撃墜!難攻不落の上田城跡を行く

信州の魅力をご紹介する信州探訪。4月6日は「城の日」ということで、今回訪れたのは長野県の東部に位置する上田市の上田城跡公園。現在は廃城となりましたが、戦国ロマンを感じさせる城跡は公園として今もなお人々を魅了しています。

上田城と真田氏

上田城は天正11年(1583年)に、真田昌幸によって築かれた平城です。真田氏と徳川氏が戦った第一次・第二次上田合戦では、徳川軍を二度にわたり撃退し、一躍真田の名を有名にしました。
第二次上田合戦の際には、城を明け渡すように要請してきた徳川軍に対し「城を明け渡すために、味方を説得するから待ってほしい」と伝え返事を引き延ばし、その間に合戦の準備を進めました。足止めを食らっていた徳川秀忠は、関ヶ原での石田三成との決戦に間に合わないという失態をおかしてしまう結果となります。しかし関ヶ原の戦いは石田方の敗北に終わり、真田昌幸と幸村は九度山(和歌山県)に幽閉され、徳川方に接収された上田城は廃城となりました。

受け継がれる真田の魅力

小諸から移封(大名などを他の領地へ移すこと)をした仙石忠政により、寛永3年(1626年)上田城は再建が開始されました。七基の櫓と二基の櫓門が建てられましたが、途中で藩主が変わり築城が中断されてしまいます。その後、解体や移築、復元などを経て、現在では櫓三基と櫓門一基が残りました。西櫓と北櫓は城郭建築として特に貴重なため県宝となっています。
また、櫓以外にも「真田石」と呼ばれる高さ約2.5m、横幅約3mの巨大な石があります。一説によると真田昌幸の息子、信之が移封を命じられた際に父の形見として持っていこうとしたところ、全く動かなかったそうです。仮にこの伝承が事実であるならば、この真田石は真田昌幸築城の時代から置かれていることに…!なんともロマン溢れるお話ですね。

「真田石」に並んでみると大きさが良く分かりますね。全く動く気配がありません…!

上田城の千本桜まつり

毎年4月上旬に開催される上田城千本桜まつりでは、約千本の桜が城跡内やお堀を埋め尽くすように咲き誇ります。ライトアップされた幻想的な美しさは日本夜景遺産にも認定されており、一目見ようと多くの観光客が訪れます。上田市内には他にもスイセン、カタクリやツツジなどいろいろな花の名所がありますので、気持ちの良い春の風を感じながら花の名所を巡ってみるのもおすすめです。