思い出の卒業式はありますか?

桜が咲き始めると思い出すのが卒業式。そう、3月は旅立ちの季節です。若い頃の思い出…目を閉じれば昨日のことのように浮かんでくるもの。皆様の心に残る卒業式はいつでしたか?もう卒業して何十年…たまには昔を思い出して童心に返ってみるのもいいかもしれません。あの頃なりたかった自分に、今なれていますか?

桜の咲き始めと共に訪れる別れの季節

卒業式と言えば、印象に残るものが「呼びかけ」ではないでしょうか。在校生が卒業生に向けて送る言葉を発し、卒業生からは先生や保護者、そして下級生に向けて感謝や決意を述べるこの言葉。

「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!」

一同「おめでとうございます!」

「僕たち私たちは、今日この学校を卒業します!」

一同「卒業します!」

こうした呼びかけは、全国的に行われており、今では当たり前のようになっています。では一体、いつから始まったのでしょうか。実はこのスタイル、戦後から普及したものだとされています。それまでの卒業式は生徒が主役ではなく、学校の公式行事としての堅苦しいものでした。しかし、戦争が終わり教育としての意味が変わり始めると、敬礼等をなくし学校主体のものではなく、ある程度リラックスした雰囲気の中で開かれるようになったのです。

発案者は斎藤喜博という教育者だとされています。1955年に群馬県で始められ、「おめでとう、六年生」という台本を元に式が進められたそうです。そこでは卒業生、在校生、教師、母親全員にセリフが与えられており、合唱曲などのBGMも用いられました。今でこそ教師や母親のセリフはありませんが、生徒一人ひとり全員が参加し、言葉を発する「呼びかけ」に通じるものがあります。

卒業式にまつわる雑学をご紹介

そして卒業式でよく目にする光景として思い浮かぶのが、女生徒が想いの男子生徒にもらう第二ボタンです。この理由をご存知でしょうか?

1つ目の説が、学生服のボタンに込められる意味。第一ボタンが自分、第二ボタンが一番大切な人、第三ボタンが友人、第四ボタンが家族となっているそう。想い人の「一番大切な人」の意味が込められたボタンを欲しがるのは当たり前ですね。2つ目の説が、第二ボタンが最も心臓に近いため、ハートを掴むという意味が込められているから。3つ目の説が、戦時中、大事な人への形見として軍服の第二ボタンを渡す風習があったというもの。どの説も信憑性が高いですね。

次に、女生徒が卒業式に着る袴です。もともと袴は男性用の服。女性が着用するようになったのは明治初期のことだそうです。しかし、当時としては斬新すぎて批判の対象にもなっていました。それが明治30年頃、女子校の制服として採用され、他の学校も後に続いたことで一般に定着したようです。

また、卒業式で歌われるイメージがある蛍の光。これはスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」が原曲となっています。古くから再会を誓う意味で歌われていました。日本では明治14年に現在の様式の歌詞が付き、それ以来、卒業式などの別れの場面での定番となっています。