今年も短冊に願いを込めましたか?七夕をもっと深く知ろう!

夜空を見上げると、そこには満点の星々。キラキラと天の川が輝いています。今年も織姫様と彦星様は再会できたのでしょうか。七夕をより深く知って、さらに楽しみましょう。

七夕の始まりをご存じですか?

「笹の葉、サ〜ラサラ〜♪」で始まる童謡『たなばたさま』。この季節になると、ついつい口ずさんでしまう人も多いのではないでしょうか。昭和16年に文部省唱歌として作曲されたとされています。という豆知識をご紹介したところで、七夕自体の歴史を紐解いていきましょう。

まず七夕という字…当たり前のように「たなばた」と読んでいますが、不思議だとは思いませんか?もともと古来日本では『棚機(たなばた)』という行事がありました。乙女が夜に着物を織って棚に供え、神様に秋の豊作を祈っていたそうです。さらに時代が進むと中国から、旧暦7月7日に織女(しょくじょ)星と牽牛(けんぎゅう)星が最も輝いて見えるため一年に一度の巡り会いの日という考え方が伝わりました。この『棚機』と7月7日が合わさり『七夕(たなばた)』という言葉が生まれたとされています。

現代風『七夕』の原点はいつから?

また中国では、織女星にあやかって7月7日にはた織りや裁縫、芸事や書道の上達を願うようになりました。日本の平安時代ではそれに倣い、宮中行事として七夕には梶の葉に和歌を書いて願い事をするという風習が生まれます。

一般的に七夕行事が広まったのは江戸時代に入ってから。梶の葉ではなく短冊に様々な願い事を書いて笹竹に吊るし、星に祈るお祭りへと変化していきます。5色の短冊と言われるのは、中国の五行思想※から取り入れられました。また、笹や竹は冬でも緑を保ち、まっすぐ育つ生命力に溢れた植物であり、神を宿すとも言われています。七夕飾りを川や海に流す風習には、笹や竹にけがれを持って行ってもらうという意味が込められています。
※五行思想・・・万物は火・水・木・金・土の5種類からなるという説。互いが影響し合い、その生滅減衰によって自然や社会が変化していくという考え方。

願い事の先には誰がいる…?

七夕の願い事を聞いてくれるお相手、起源をお読みいただけたなら、誰だかすぐわかるのではないでしょうか。そう、織姫様です。

ただ、通常の願い事のように自身の欲を書いてしまうと叶わないかもしれません。もともと何かを上達させたいと願う行事です。そのため「〇〇ができるようになりますように」と趣味や学業の向上への思いを込めましょう。つまり、織姫様にお願い事をするけれど、実現するのは自分だということ。一つの意思表明でもあります。また、子どもの成長や家族の健康を願うのも良いでしょう。

様々な行事や思想が合体して生まれた七夕の物語を思い浮かべながら天の川を見ると、今までと違った感覚に陥るかもしれません。星に願いを…私たちだいにち堂は、お客様はもちろんスタッフや家族の健康が一番です。

そうめんは七夕の行事食

夏によく食べるそうめん、実は七夕の行事食だということをご存じでしょうか?もともとは中国で疫病を鎮めるためのお供え物だったそうです。日本の平安時代には、のど越しのいいそうめんが開発され、無病息災を祈願して7月7日に食べられるようになりました。

究極の遠距離恋愛である織姫様と彦星様…日本人の遠距離恋愛事情は?

一年に一度しか会えない織姫様と彦星様…程ではなくても、日本人の遠距離恋愛事情をまとめたデータがありました。バスや電車、飛行機などを使った移動が2時間以上の距離に恋人がいると答えたのは約25%だったそうです。

7月7日は曇りか雨…?織姫様と彦星様は、平均して何年に一度再会できるのか

7月7日午後の天気(東京)を約60年間遡ってみると、晴れだった確率はなんと30%未満という結果に。つまり3年に1回程度しか二人は会うことができていないんです。地方によって天気は変わりますが、梅雨の影響が大きいようです。

長野県松本地域の七夕行事ではたくさんの七夕人形が縁側を彩ります

松本では、一般的な七夕飾りではなく、様々な人形が縁側に飾られています。また、子どもたちは自分の晴れ着を織姫様や彦星様に貸してあげるために、軒先に吊るすという風習も。実は江戸時代から続いている独自文化です。また8月7日が松本の七夕になります。