えがおぶらり旅|栃木編

※この取材は2019年8月に行ったものです

栃木県といえば、日光や那須高原などの観光地が有名ですよね。しかし、私たちが取材で訪れた、宇都宮市と下都賀郡壬生町にもぜひ行ってみてほしい、知ってほしい、そんな魅力がありました。

「大谷資料館」にある巨大地下空間とは?

宇都宮市の特産品のひとつに、「大谷石」があります。およそ1500万年前の火山噴火によって堆積した凝灰岩で、宇都宮の北西、大谷地区周辺から算出されることから、大谷石と呼ばれています。

江戸時代頃から本格的に建材として利用され始め、近代化する日本の都市づくりの礎となりました。また、軟らかく温かみのある独特な質感が人気で、今でも加工品や建物の内装としても親しまれています。

そんな大谷石の採掘の歴史が分かる「大谷資料館」。この資料館の最大の見所が、大谷石の地下採掘場跡です。1919年から約70年をかけて、大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間は、深さ30m、広さは2万平方メートルにも及びます。

ひんやりとした空気や、所々ライトアップされた壁など、その神秘的な空間は地下神殿やラビリンスとも例えられるほど。壁や天井の石肌には、手掘り時代のツルハシの跡なども残っていて、その歴史を肌で感じることも出来ます。

またこの「大谷資料館」は、映画やドラマ、楽曲映像など、数多くの作品の撮影にも使われていることで有名です。皆さまもぜひ一度は訪れて、非日常体験をしてみてはいかがでしょうか。

なぜ宇都宮市は「餃子の街」になったのか?

宇都宮といえば餃子、餃子といえば宇都宮。そんなイメージを持つ方が多いと思いますが、ではなぜ宇都宮で餃子が有名なのか、を考えたことはありますか?

宇都宮で餃子が食べられるようになったのは、太平洋戦争後から。餃子の本場である中国の北東部に駐屯していた陸軍第14師団の本拠地が宇都宮にあり、終戦後にその兵士たちが餃子のレシピを持って帰ってきたことが、始まりなんだそうです。

中国北東部と宇都宮は内陸部で気候が似ていたために、獲れる作物も似ていたこと。また、当時は食糧不足だったため、豚肉、ニラ、ニンニクが入った餃子はスタミナをつけるのにもってこいだったこと、なども理由となって、あっという間に人気が広がりました。

さらに、1990年には宇都宮が「餃子でまちおこし」することを発案。これがテレビ番組などで取り上げられたことなどから、一気に「餃子の街」が全国で有名になりました。

「おもちゃのまち」という地名が実在!?

「栃木県下都賀郡壬生町おもちゃのまち」。こんな住所を聞いたことはありますか?これはテーマパークや施設の名前ではなく、日本に実在する正式な地名なのです。

1955年頃、日本のおもちゃ産業が盛んになり、生産設備や工場を大きくするため、元々東京の下町にあった工場を違う地域に移転しようという計画が始まりました。そこで候補となったのが、栃木県の壬生町でした。

一度は見送られたものの、1962年に工場団地を誘致することが正式に決定。その後、建設工事が始まり、1965年に「おもちゃ団地」が誕生しました。11もの企業が操業を開始し、当時は多くの人々が東京から移り住んだそうです。

そして、彼らがこの辺りを「おもちゃのまち」と呼ぶようになり、1977年に正式な地名となりました。現在は工場がありませんが、「おもちゃのまち」は、戦後のおもちゃの歴史が刻まれ続けてきた場所ともいえます。