2月23日は富士山の日

皆様、2月と言えば何を思い浮かべますか?実は…2月23日は日本一の山、富士山の日なんです。今回は、そんな富士山の豆知識をご紹介します。

富士山と人々の移り変わり

富士山が今のような形になったのは、およそ1万年前だとされています。何度も何度も噴火を繰り返し、積もった火山灰や溶岩によって徐々にキレイな円錐形に形成されていきました。文明が発展した今の時代に見ても「神々しい」という言葉がぴったり。日本人の遺伝子には、富士山信仰が刻まれているのでしょうか。
古代では神聖な場所とされており、信仰の対象でした。それ故、女性が登ることを禁じられていたこともあったそうです。また、山頂部は仏の世界と考えられ、日本人にとって特別な意味を持つ場所だという認識が広まっていきました。
江戸時代になると徳川家康の管理下に置かれ、8合目より上の部分は浅間大社の境内として制定されました。また、登山が大衆化し、富士信仰も発展。富士参詣の人々は導者と呼ばれていました。
1868年には、神仏分離令が出されたため、富士山中の仏像が取り壊され、信仰のされ方が変わり始めます。

富士山頂は誰のもの?

では今の富士山はというと…一体、誰がどのように管理しているのでしょうか?
ご存知の通り、富士山は山梨県と静岡県の境に位置しています。実は富士山の8合目以上は、徳川家康の時代と同じく、現在でも浅間大社の境内。国有地ではなく私有地になります。また、地図で見ると7合目から下の部分は県境がありますが、山頂には記載がありません。つまり山梨県でも静岡県でもないのです。
ちなみに、富士山頂にも郵便局があることはご存知ですか?富士山の消印を押してもらえるため、登頂記念のハガキを出す人でも賑わっています。ここの郵便番号は418-0011。静岡県側の番号が使用されています。

意外と知らない?富士山雑学

富士山が日本一ではない時代があった

昔々、神話の時代。富士山の女神と八ヶ岳の男神が背の高さを競っていました。そこで仲裁に入った阿弥陀如来が両者の頭に樋(とい)をかけ水を流したところ、富士山の方へ流れてしまったとか。これに腹を立てた女神は、八ヶ岳の頭を叩き割りました。すると山頂部は8つの峰に分かれ、標高が低くなってしまったそうです。

初めて富士山に登った女性の逸話

信仰上の都合から女人禁制だった富士山。それでも登ってみたいと思うのが富士山の魅力です。なんと、ちょんまげを結い男装して登頂した女性がいたという話が残っています。

富士山の年齢はいくつ?

人間と同じように山にも年齢があります。日本の火山の寿命は約数万年くらい。では富士山はというと、まだまだ1万年。もしかすると数万年後には、今のような美しい姿ではないかもしれません。

日本一の標高で結ばれる二人

記事部分でお話ししたように、富士山頂は浅間大社の奥宮。夏の受付期間内に申し込めば、頂上で永遠の愛を誓い合うことができます。

不老不死の象徴でもある富士山

日本最古の物語「竹取物語」で、かぐや姫が帝に別れを告げる際、不老不死の薬を渡します。しかし、かぐや姫がいなくなり生きる望みを失った帝は、それを日本で一番高い山の山頂で焼きました。その山には不死の力が宿ったとされ「不死山」と呼ばれ始めます。今のように「富士山」という表記になったのは鎌倉時代からだそうです。