長野県の善光寺で健康祈願をしてきました

だいにち堂と言えば長野県の会社、そして長野県で健康祈願と言えば、やはり『善光寺』ですよね。御開帳時にはなんと約700万人の参拝者が訪れるという長野随一の有名スポットです。

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長野随一の有名寺院『善光寺』で健康祈願

だいにち堂のある安曇野から車を走らせること約1時間。善光寺へと続く仲見世通り前の駐車場へ到着。ここは長野グルメが揃っていて、おやきの良い香りも漂います。
なんとか誘惑を振り払い、善光寺の仁王門をくぐります。巨大な仁王様の像は何度来ても背筋をピシッと正してくれるような迫力。「2023年も慢心せず精進します!」と心の中で呟き、先へと進みました。

煙を浴びて無病息災、至るところで健康祈願!

その後、参道を通って目に入るのが、大きな香炉。煙を手繰り寄せるようにして浴び、体に擦り込むと、無病息災・病気平癒のご利益があるとされています。上に乗っている立派な獅子が、病気を追い払ってくれているようです。
ちょっと煙いのは健康祈願のためと我慢して、ついに本堂に到着。早速、祈願をしに中へと足を踏み入れます。ピーンと張り詰めた荘厳な雰囲気。撮影禁止のため中の様子はお伝えできませんが、清められるような感覚になります。様々な菩薩様や御本尊様を巡り、しっかりと前で手を合わせてきました。

長野が誇る国宝『善光寺』をご紹介します!

紆余曲折あった善光寺ができるまで

西暦644年に造営された歴史あるお寺で、国宝に指定されている現在の善光寺は1707年に再建されたもの。御本尊となる仏像は一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんそんあみだにょらい)様で、古来インドから朝鮮半島百済国へ渡り、552年に日本へ運ばれました。しかしその時、崇仏・廃仏論争に巻き込まれ、難破の堀江の地に打ち捨てられてしまいます。その後、本田善光が仏像を拾って信濃の国へとお連れし、現在の長野県飯田市で祀られることとなりました。
そして、この仏像を本尊として皇極(こうぎょく)天皇の勅願により伽藍(がらん)という僧侶の修行場が造られ、本田善光の名を取って『善光寺』と名付けられたのです。この仏像は、百済から日本へ伝えられた最古の物だとされています。

波乱万丈の戦国時代、最後は夢枕に…

渡来直後からトラブルに見舞われた善光寺の御本尊様。それからも数十回の火災が発生するなど、幾度となく危機を乗り越えられてきました。特に戦国時代の善光寺は波乱万丈。川中島の合戦後、武田信玄が善光寺をまるごと甲府に移したかと思えば、御本尊様は織田家・徳川家の手に渡り、豊臣秀吉が京都へ奉納、と二転三転。最後は秀吉の死の直前に御本尊様が枕元へと立ち、信濃の地へ帰りたいと告げたそうです。
江戸時代の中期になると『善光寺』は、身分を問わず男女平等を説き、全てを救う寺院として有名になりました。こうして多くの人に愛されるお寺になったのです。

牛に引かれて善光寺参り

その昔、心の貧しい老婆の布を、牛が角に引っ掛けて走り去っていきました。老婆が腹を立てて追いかけると、着いた先は善光寺。牛は観音様の化身だったのです。それから老婆は信心深くなり、極楽浄土へ導かれたという逸話が残っています。