えがおぶらり旅|大阪編

「笑いの聖地」として知られる大阪。さらに大阪といえばもう1つ、「食い倒れの街」としても有名ですよね。そこで今回は、なぜ大阪がそう呼ばれているのか、そのルーツをご紹介します。

「笑いの聖地」大阪、その笑いの歴史とは?

お笑いと言えば大阪、大阪の人は面白い、そんなイメージをお持ちの方も多いですよね。ですが、現在活躍しているお笑い芸人の中には、関東出身の人もたくさんいます。なぜ大阪は「笑いの聖地」として広く知られるようになったのでしょうか。
16世紀後半の戦国時代、将軍やお殿様に面白い話を聞かせて楽しませる「御伽衆」と呼ばれる人がいました。その中でも、織田信長や豊臣秀吉の側近たちが得意としていた、とんちを利かせた笑い話が、「落語」の始まりと言われています。
その後、庶民の娯楽として発展していった落語ですが、江戸の「江戸落語」と、京都・大阪の「上方落語」には少し違いがありました。江戸落語はお座敷で行う芸能になっていったのに対し、上方落語は神社の境内や河原など、屋外で行われていました。さらに江戸は料金が前払い制でしたが、上方は落語が終わった後に料金を集めて回っていたのです。そのため、道行く人に足を止めて噺を聞いてもらい、料金を集めるために、最後まで客を惹きつけておく必要があったのです。上方の落語家たちは、三味線や太鼓で客の足を止めて大きな声でお喋りを始め、最後の「オチ」で締めるところまで「笑わせたもの勝ち」の精神で貪欲に笑いをとっていました。現在の大阪のお笑いにも、この頃の名残があるのではと言われています。
大正時代に入ると、噺家ではなくスーツ姿で軽快な掛け合いをする「漫才」が誕生。お笑い界を代表する有名企業が「うめだ花月劇場」を開業し、テレビ中継がスタートしました。その後、漫才のスペシャル番組が放送されると、日本では空前の漫才ブームが起こり、あまり馴染みのなかった関西弁が全国で受け入れられるになりました。このブームをきっかけに「大阪=面白い」というイメージが定着していったのです。
このように、大阪が「笑いの聖地」と呼ばれるルーツには、上方落語や漫才の歴史が深く関わっているのです。

「食い倒れの街」大阪、その食に対する心意気とは?

【食い倒れ・・・飲み食いに贅沢をして、財産を失うこと。】
大阪の人は、食を大切にしてお金をかけて楽しむ、食道楽の気風があるということを揶揄した言葉です。

元々大阪は、大阪湾から豊富な魚介類が揚がり、多種類の野菜が作られ、海の幸・山の幸に恵まれていました。さらに江戸時代には「天下の台所」と謳われるほどに、全国から多くの食材が集まり、良い食材が手に入る環境にありました。それらを料理するために良い包丁が作られ、裕福な商人たちが商談をするために料理屋を使い、料理人は腕を磨き、料理が洗練されていきました。また、料理につきもののお酒も、近隣に銘酒どころがあり、上質なお酒に見合うよう料理の質が向上しました。
大阪の人は、食材を大切に扱い、食材の質を見極めて、無駄を出さずに上手に料理をするという心を持っています。「食い倒れ」という言葉には、このような大阪の歴史と環境、大阪の人の気風が込められているのです。